さよならありがとう
20年生きてくれた老猫のチョビが27日の深夜1時過ぎに旅立ちました。
ツイートしようと思ったら気持ちが溢れて止まらなくて、わたしの鬼ツイートで埋めつくしてしまいそうやったので、気持ちを吐き出したくてメモに書いていたら、4つのスクショではおさまらなくなってきて、久しぶりにブログの存在を思い出したのでここに書くことにします。
前回書いたのは3月やなんて……三日坊主の悪い癖や🤦♀️
チョビはここ数ヶ月は寝てる事が多く、抱っこする事もすっかり無くなっていたなぁ。
ここ最近はトイレを粗相するようになっていた。
腎臓もだいぶ悪くなっていたから、ごはんを食べても吐いたり、水をがぶ飲みしては大量に吐きまくる事も多く、仕事から帰ったら部屋があちこち汚物まみれで、まるで地獄絵図だった。
ずっと掃除してばっかりで、痙攣の発作を起こす事も増え、日に日に弱っていく姿は見るに堪えなかった。
ボケていたのか真夜中に大声で鳴いたり、何度もごはんの催促をしてきたり。
その姿はまるで、飯はまだか〜?というボケ老人かのようで、最期の介護期はかわいいと思える事が減り、そんなふうに思ってしまう自分も嫌で正直しんどかった😖
疲れている時や、自分に余裕がない時や、急いでいる時なんかにトラップに気付かず、汚物を踏んでしまった時なんかは、つい心が悪くなりもう早く死んだらいいのになんて思ってしまう事もあった。(ほんまに反省)
そんな状況もあって、だんだんと構ってあげることも、気にかけてあげることも少なくなっていたように思う。
もう1匹飼っている新入り猫のチビはブクブク太っていて触り心地も良いし、甘え上手でよく膝の上に乗ってきていたから、いつの間にかチビばかり構うようになっていた。
弱っていく自分の事は気にもかけずに、新入りばかりかわいがる飼い主の姿をみてどんなに悲しかっただっただろうか。
そんな勝手な飼い主やのに、寝落ちしたりうたた寝していた時は、あんたそんなとこで寝てたら風邪ひくで?と言わんばかりに大きな声で鳴いてよく起こしに来てくれていたっけ。
なんて優しい子なんやろうか。
ずっとまっすぐに思い続けて見守ってくれて居たんやなぁて、なんでもっと大事にしてあげなかったのか、もっとしてあげられることもたくさんあったやろうに、、、本当に後悔しか出てこない。
亡くなる数日前まで食事は普通に食べていたし、正直そこまで寿命が迫っているとは気が付かなかった。
でも思い返してみれば、あちこちで粗相をするようになったのは死期が迫っているサインのひとつやったんやろなぁ。
頭のどこかで、もうそんなに長くは無いのかもなと思いつつも、どこかで認めたくない自分も居たのだと思う。
現実におこって、ようやく事の重大さに気付くなんてほんまに最低やなってそんな自分が嫌になった。
チョビとの出会いは、実家で飼っていたまだ避妊手術前の雌猫が外に脱走した時に子を身ごもり、生まれた子猫のうちの1匹でした。
5匹くらい居たけど、その中でもとても威勢よく飛び乗ってきた子が居たから、その子を連れて帰ることにした。
それがチョビだった。
最初はチョコっていう名前やったのに、いつのまにかチョビになっていたっけ。
ちょうどその時の私はバンドを辞めたばかりだった。
メンバーとはめちゃくちゃ仲悪くなって、大好きで始めたはずのバンド活動も苦痛でしかなくなり、ベースを持つと涙が出てくるような状況で、まっすぐに向き合えず追い詰められて辞めた。
その時付き合っていた人もろくなひとではなかったけど半同棲のような感じになっていて、でも自分は1人ぼっちなんだなぁと感じることも多く、当時の私は精神的にめちゃくちゃ不安定だったと思う。
実家を出た寂しさもあって、チョビを家族に迎え入れることにした。
そんな不安定でどん底に居た自分を救ってくれたのはチョビだったっけ。
わたしが23歳だった頃から44歳の今日に至るまでの20年半、失恋した時も失業した時も、バンドを辞めた時も、病気した時も、命の誕生も、命とのお別れも、引越しも……ずっと傍におってくれたんやなぁ。
心が苦しく平常で居られない時、ただそこに居てくれるだけでどんなに心強かったか。
今日私は大好きなバンド、SABOTENのライブを見に行っていた。
千葉県の郊外に住んで居るので、八王子まで片道3時間近くかかる小旅行だった。
明日も仕事やし、遠いしで、元々少し早く帰ろうとは思っていたけど、SABOTENのリハ中に旦那からチョビがもうやばいかもしれんと連絡が来て心がざわついた。
いらんことは考えんようにしようと思いつつも何度か不安がよぎり、油断すると泣いてしまいそうだった。
そんな時に、目を閉じてしか会えなくなる前に……と話してから歌われる「いつもの場所で」がリアルに刺さる。
ここで泣いてしまうとチョビが死ぬって認めてしまうみたいで嫌で、必死で耐えた。
まだチョビは死んだ訳じゃないし、目を閉じなくてもまだ会える!触れ合える!まだ間に合うはず!とグッとこらえた。
ラストはシナリオ
「思い出にはまだ出来ない
泣き顔じゃ終われない
冷めた夜の歌は消えた
僕は星になる」
という歌詞に涙腺緩みそうになったけど、ここでも今じゃないとグッとこらえた。
そういえば、かつて大好きだったピンクリボン軍というバンドが解散を発表した直後のライブが、八王子マッチボックスであったのやけど、ピンクリボン軍とSABOTENと花団という3マンで、その時シナリオを聞いてボロ泣きしたなぁという事を思い出した。
時を経てまた同じ場所で同じ曲を聞けているやなんて、なんという偶然なんやろうか。
その昔、うちの父親がうつ病になり引きこもっていた時、家族が崩壊して、誰にも相談出来ずいのちの電話に電話するくらい追い詰められていた事があったのやけど、一緒に住んでいるのに手紙でしかやりとりの出来ない父親に、シナリオの歌詞を書いて渡した事があったなぁとふと思い出した。
そんなまあまあヘヴィーな出来事があった時も、チョビはずっと傍に居てくれてたんやなぁ。
そういや、先日SABOTENのワンマンライブの会場で行われていたゲームコーナーで当てた景品の中で、わたしが手にしたのもキヨシさん直筆のシナリオの歌詞カードだったなぁ。
この曲は何かとお守りになってくれているから、手に入れる事が出来て良かった。
帰りに年内最後やのでメンバー皆さんに挨拶。
下手にキヨシさんとお話しすると泣いてしまいそうで、何も言えなかった。
友達が一緒にいてくれて良かった。
大好きなななぞうさん(STUNNERというバンドの♀サポートギター)にも会いたかったなぁ、差し入れ持ってきてたしちょっと探してみようかなと思っていたら、たまたま出てきはって会えて嬉しかったなぁ。
嬉しくて駆け寄ったらハグしてくれてラブい🥹
ななぞうさんの明るさと優しさに救われました🥲
そんなこんなで話は大いに逸れましたが、、、
早く帰ってこいと言われても、乗り継ぎもあるから急いでもどうしようも出来ないもどかしさがつらかった。
さっきまでずっと我慢していたからか、1人になると急に涙が溢れて止まらなくなって、鼻水も溢れてくるし一生懸命違う事を考えようとしても笑えなかった。
ただでさえ遠い距離が一段と遠く感じたなぁ。
家に着くとチョビはフローリングに力なく横たわっていた。
ほんまに今にも息絶えそうやったらしいんやけど、最後の力を振り絞り私を待っていてくれたようだった。
チョビ!!!!って呼ぶとニャーって何度も鳴いた。
抱き上げて、今までのありがとうという気持ちとごめんなさいという気持ちをたくさんたくさん伝えた。
きっと、チョビはまたわたしにこうやってだっこしてもらえるのを本当に待って居たんやと思う。
久しぶりにチョコ!って呼ぶと耳がピクっとなった。
お前の名前はほんまはチョコやったね。
もう瞬きもしなくなって、瞳孔が開いたまんまゆっくりと深呼吸するだけのチョビを抱きしめながら2人だけの時間を2時間近く過ごした。
腕の中で命の火が消えていくのを待っているだけの時間は本当に心がえぐられた。
あろう事かこんな時に、泣きすぎて疲れたのか抱っこしたままちょっと寝てしまっていた。
はっ!!と起きたらチョビはまだ息をしていて、あんたそんな所で寝てたら風邪ひくで?と言わんばかりに見つめているかのようにみえた。
それから数分後、閉じていた口が開きはじめ、声も出せないのに鳴こうとして、いつ亡くなったのかわからないくらい本当に静かに命の火が消え、お空に旅立っていきました。
何の偶然か、6年前に亡くなった猫のぶにゃおさん(とこ)が亡くなったのも深夜1時をまわった頃やったなぁ。
ずっと見守っていたけど、疲れて一瞬うたた寝してしまい、起きたら程なくして息を引き取るというパターンまで同じ、、、
チョビは、最期は私に抱っこしていて欲しかったんやろなぁて痛いほど伝わって苦しかった。
最期だけじゃなくて、ほんとは元気な時も弱っていっても何度も抱っこしてほしかったよな。
気付いてあげられなくてほんまにごめんな。
ほんまはずっとこうしたかったんやで?と言う長く空いた隙間を埋め合わせるかのように、最期の時間を2人だけで静かに過ごせて本当に良かった。
もしチョビが私を待たずに旅立っていたら、お前なんかもうええわと言われているようで、一生悔やんでも悔やみきれなかったと思う。
大きな愛と優しさに包まれていたのはずっと私の方やったんやな。
チョビ、いや、チョコ、出会ってくれて、こんな私とずっと一緒に居てくれてありがとう。立派な飼い主じゃなくてごめんなさい。
もっと優しくてお金持ちの飼い主に飼われていたら、もっと幸せに暮らせていたかもしれないね。
言葉が話せないからこそ、もっと色々察してあげるべきでした。ほんまにごめんなさい。
でも、今更嘘みたいに聞こえるかもしれへんけどほんまにずっと大好きやったで。
またいつか私がそっちに行った時は迎えにきてね。
しばらくは寂しいから、きっとまた無駄に夜更かししてはうたた寝してしまうと思うから、夢の中でもいいからたまには起こしに来てな。
これまた何の偶然か、今日12月27日は私の祖母の命日で、明日は、先日亡くなられた旦那のおじいさんの葬儀がある。
命は有限であるということ、生きているうちに出来ること、してあげられることをたくさん考えさせられました。
伝えたい事は生きている時に言葉でちゃんと伝えたいと、心からそう思います。
そして、まだ健在で居てくれている両親を思い出した。
離れて暮らしているから、余計にあと何回会えるのかな?と考えると切なくなりました。
めちゃくちゃ長くなりましたが、ここまで読んでくださった方がおられましたら、お付き合いありがとうございます。
これを読んでいるあなた様も後悔の無いよう、
大切な人をめいっぱい大切になさってくださいね。
チンチラポッポ〜
わたしは京都生まれ、京都育ちで、38年間ずっと京都で過ごして居ました。
京都に住んでいた頃の定番と言えば、平日の朝はおはよう朝日ですを見て、日中はよーいどん、ちちんぷいぷいを見て、金曜日の夜は探偵ナイトスクープ、土曜日のお昼と言えばよしもとの新喜劇を見るのが好きな、関西ローカルを愛してやまない人間だったので、理由はテレビだけでは無いけど、自分が関東の人間になると言うことがなかなか受け入れられ無くて、本当に嫌で嫌でしょうがなかった。
関東に引っ越してきて、探偵ナイトスクープも、新喜劇もそのどちらも民放のキー局で放送されていないと言うことがめちゃくちゃショックだったっけ。
新喜劇って本当にこっち来てから見る事なくなったなぁ、、、いつ何チャンネルで放送してたかなぁ🤔とふと思って調べていて、思い出した出来事があるので書いてみます。
これはわたしが小3くらいの頃の話しです。
丁度季節は今くらいの春の始まりの頃、だけどまだ肌寒く、冬の名残を感じるある土曜日の事でした。
当時の土曜日は学校がお昼までだったので、昼に家に帰って、お昼ごはんを食べながら新喜劇を見るのが恒例だった。
その日はたまたま親が家におらず、数時間で戻るから1人で留守番をするようにと言われていました。
お昼ご飯には母が握ってくれた小さめのおにぎりと、カップラーメンとUFOが置かれていた。
どれを選んでも良いように色々置いてくれて居たのだろう。
いつもならUFO一択なのに、その日は少し肌寒かったからあえてラーメンを選んだ。
食べきれないとわかっているけど、欲張っておにぎりも頬張る。
そして、親が居たら絶対あかんと言われるからこれはチャンスや!と言わんばかりに、冷蔵庫にあった缶コーラを勝手に飲んで、食べたものもそのまま放置して、ダラダラと寝っ転がりながら大笑いし、大好きな新喜劇を満喫していた。
新喜劇が終わってチャンネルを変えようと思い、クッションを抱えうつ伏せに寝っ転がったままテーブルの上に手を伸ばし、リモコンを取ろうとしたら、あろうことかまだ熱いカップラーメンに引っかかりこぼしてしまい、勢いよく頭からかぶってしまった( ꒪⌓꒪)🍜
あっつぅ!!!!!あっつぅ!!!!と慌てふためいて急いでタオルで拭くものの、細かいネギやらラーメンの残りが髪の毛に絡まるし、とにかく暑いから冷やしたいけど、3月とは言え、その日の体感温度はまだ冬、、、水で冷やしたいけどめちゃくちゃ躊躇する……🥶🥶🥶🥶🥶
食べていた時はあんなに美味しく感じたスープも、頭から浴びた途端にめちゃくちゃ獣臭く感じて、味覚と臭覚と視覚がバグりそうになった( ꒪⌓꒪)
そして、ダラダラして横着した自分を、UFOを選ばなかった自分を思い切りどつきたくなった😂😂😂
でも、早く片付けないとお母さんすぐ帰ってくると言ってたし、こんな事してるの見られたら絶対怒られる!!と思ってとりあえず片づける事に全集中……
まだ頭がラーメン臭くこってりなままやけど、そうも言ってられない。
なんとかお母さんが帰ってくるまでにカーペットを綺麗に拭いて、髪の毛も洗い流す事が出来た。
これでなんとかなった……とホッとして、テーブルに置いてたままのコーラを飲もうと口に入れた瞬間、口の中に液体では無い異物感があり、勢いよくブーーーーーーーッッと吹き出してしまっだ;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )
よく見ると、そこには勝手にコーラの中に入って溺れ死んでいたと見られる蜘蛛がいた🕷🥶🥶🥶🥶🥶
そんなことある!?!?😂😂😂😂😂
せっかく綺麗に拭いたカーペットが、またコーラで茶色に染まってしまった……🙃🙃🙃
まだうっすら残るラーメンの汁色の茶色の上に、また色味の違う茶色が上乗せさせられる😱💦
これがもし図工の時間だったら、そのグラデーションとダイナミックさ、エアブラシさながらのミスト状の彩りは先生に褒められたかもしれないが、今のこの状況はどう考えても、誰が見ても怒られる一択😂😂😂
醤油臭い茶色い汁と、甘ったるくてベタベタする茶色い汁のコラボはただただ最悪でしかない🥶🥶🥶🥶🥶
こらあかん!!😱😱😱💦と急いで拭くものの、途中でお母さん帰ってきてアウトーーーー!!
もう……おわた😭😭😭
そして案の定その後めちゃくちゃ怒られましたが、事の顛末を知るにつれ、母も呆れて笑っていました😂😂😂
新喜劇と聞いて思い出す、未だに忘れられない幼い頃のアホな出来事でした😂😂😂😂
う〜ん、チューイングボーン🙄💣💥💣💥💣💥
2人組のおばあちゃん
随分と日が空いてしまいました💦
決して忘れて居た訳じゃ無いのですが😂
強烈なおっさんシリーズは出し切ってしまったので、今日はかわいい2人組のおばあちゃんの事を書きたいと思います。
このおばあちゃん達もしょっちゅう来てくれていた常連さんで、週の半分は来てくださって居たかな🤔
1人はシャキシャキして居て、よく喋る元気なおばあちゃんで、もう1人はそのおばあちゃんよりも一回りくらい上だったのかな?
綺麗に真っ白な白髪で、いつもニコニコしている、物静かな可愛らしい小柄なおばあちゃんだった。
いつも必ず2人一緒に来られていて、ひとつのモーニングセットを注文して、仲良く2人で分けて食べておられたなぁ。
写真はイメージです笑
おばあちゃん達のお気に入りは、ベーコンじゃなくて、いつも決まってハムエッグでした。
それを半分こして、トーストも1つずつ分け合って食べておられたなぁ☺️
決してケチってる訳じゃなくて、2人でひとつがちょうど良い量だったそうです☺️
いつも、元気な方のおばあちゃんがずっと喋っていて、もう1人のおばあちゃんはニコニコしながらうんうんと話を聞いていたっけ。
そこだけを聞くと元気なおばあちゃんがめんどくさい感じに聞こえてしまうけれど、元気なおばあちゃんはもう1人のおばあちゃんの体を気遣いエスコートしていたなぁ。
それが無理のある関係ではなく、とても自然体で、お互いに取って居心地の良い関係であるという事がよくわかった。
おばあちゃん達はわたしを孫のようにかわいがってくれて、いつもここでモーニングを食べるのが楽しみだと言ってくれていた。
そんな仲睦まじい姿が微笑ましくて、わたしもおばあちゃん達に会える事が楽しみでした☺️
常に一緒に来られるから、余程仲良しなんだろうなぁと思って居たら、どうやらお2人はご一緒にお住まいだった模様。
どういう経緯があって、友達同士のおばあちゃんが2人暮らしをしていたのかは分からないけど、今で言う阿佐ヶ谷姉妹みたいな感じだったのかな?
歳いってから気心知れた友達と一緒に暮らすと言うのも、それもまた楽しそうでいいなぁと、そのおばあちゃん達を見て思っていた。
前回書いたストーカーのおっさんの事もあって、ここのバイト先をもうすぐ辞めるんだという事をおばあちゃん達に話した時、おばあちゃんはめちゃくちゃ悲しんで、寂しくなるなぁと泣いていた🥲
ただのバイトやのに、まさかそんなにまで悲しんでくれる人が居るなんて、辞める事をやめようかなと一瞬思ったけど、それ以上にあのおっさんに毎日会うことはもう限界だと思った😖
そしていざバイトを辞めるとなった時、おばあちゃんは住所と電話番号を教えて欲しいと言ってくれたので連絡先を交換しました。
たまに連絡する程度で、次第にやり取りする事も少なくなって行ったけど、年賀状だけは毎年欠かさずやり取りをしていました。
毎年同じ渋いフォントの謹賀新年と、少しの新年の挨拶と、苗字が違う連名のおばあちゃんの名前が印刷された物に、干支だけは毎年変わって行ってたけど、おばあちゃんが一言書いてくれる文字の色は決まって青のインクのボールペンだった。
高校生だったわたしもやがて大人になり、一人暮らしをしたり、同棲をしたり、また実家に帰ったり…そしてまた引越したり、結婚したり……と何度も環境が変わって行ったけど、結婚してもおばあちゃんとの年賀状のやり取りはずっと続いていました。
おばあちゃん達の年賀状のスタイルは一貫してブレずに変わらなかったけれど、10年くらい経ったある年の年賀状に、『○○さんは昨年亡くなりました』とやっぱりブルーのインクのボールペンで書かれていて、差出人の名前が1人になっていた時は胸がキュッと痛かった。
おばあちゃん1人になってもまだ年賀状のやり取りは続いて居たけど、随分と筆圧が弱くなったなぁと、去年の年賀状とブルーのインクを見比べて思った事があった。
そしてその翌年は、遂におばあちゃんから年賀状が来なかった。
さすがに安否が気になったけれど、もう20年近く会ってないし、ほぼ年賀状のやり取りだけだったし、自分ももう京都に居なかったから簡単に会いに行けなかったのもあるけど、いざ訪れて現実を突き付けられたくなかったと言うのもあった。
もしかしたら、ただ引っ越しただけの可能性もあるかもしれないしな……と都合良く解釈して自分に言い聞かせていた。
それからまた1年経って、何事も無かったかのようにおばあちゃんに年賀状を送ってみた。
おばあちゃんからの年賀状は絶対元旦に届くから、ドキドキしながら元旦に届いた年賀状を見て行くと、最後の1枚になってもそこには無かった。
もしかしたら、忙しくて元旦に届くように出せなかったのかもしれないしなぁと、淡い期待をしていたら、数日経ったある日、自分がおばあちゃんに送った年賀状に、無情にも『あて所に尋ねあたりません』とハンコが押されて返ってきてしまった。
頭ではわかっていた事だったけど、心の何処かで、おばあちゃんがもうそこには居ないという事を認めたくなかったんやなぁ。
返ってきたその自分の年賀状を見て、もう認めざるを得ないんやなぁと、じわじわ理解して行った。
おばあちゃんに家族が居たのか、きょうだいが居たのか何も分からないけど、その人生を終える最後の日が、いつも明るかったおばあちゃんらしく、さみしくない物であるといいなぁと思った。
ずっとこのおばあちゃんとのやり取りがあったからか、わたしは年賀状を書くのが好きだ。
色々と便利な世の中になって、新年の挨拶もLINEで送る人も随分と増えたなぁと思う。
わたし個人的な事だけど、結婚したり、遠方に引っ越したりで、どんどん環境が変わって行って、かつて仲良くしていた友達とはうんと会える機会が減ってしまった。
元々そんなにマメな方では無いので、自分から連絡する事もあまり無いから、せめて年賀状くらいは元気にしているかな?とその人の顔を思い浮かべながら、宛名と一言だけは手書きで書くようにしています。
毎年やり取りしている友達の中に、小学校の時の友達や、中学校の時の友達も居るから、何十年も会っていないのにその人の字はずっと変わらなくて、文字は歳をとらないからなんだか不思議な感じがするなぁ。
わたしはずっと続けたいからと、自分は良かれと思ってやっていても、年末年始は皆忙しい時でもあるし、それが負担になる方もおられるだろうから、毎年送ってくれる人に限定して送るようにはなって行ったけど、無理のない範囲でこれからも続けて行けたらいいなぁと思っています。
ストーカーのおっさん
前回の出所ホヤホヤのおっさんもたいがいやばかったですが、怖かったけど危害は加えられなかったのでそう言った意味ではまだセーフでした😂
次はバイトを辞めるきっかけになったおっさんの話しです😂😂😂
私は10代の頃髪の毛がめちゃくちゃ長くて、最高で膝まで伸ばしていました。(これには訳あって……また別の機会に書きます)
髪がスーパーロングで真っ赤の時もあったりしたので、近所のちびっ子からはセーラームーンのお姉ちゃんと呼ばれていたり🤣
なので、個性的すぎて同世代の男子からは全くモテなくて(まぁモテたいとも思っていなかったけど)変なおじさんとちびっこにはモテました。
中でもその筆頭がストーカーのおっさんでした🥶🥶🥶
最初はただの毎朝コーヒー飲みにくるおっさんだったのが、次第に私が注文を取りに行かないとオーダーしないようになり、お会計も私じゃないとしないと言うようになり、私が待機している場所から近い席に座ってずーっと見つめられるようになり、目が合うと(´^∀^`)ニタァと笑って、、、
毎日その繰り返し🥶🥶🥶🥶🥶
おっさんも調子乗ってか少しずつエスカレートしてきて、お会計で必ずお釣りが出るように出して、釣り銭を渡す時にわざと手を触ってくるようになったので、だんだん気持ち悪くなって毎朝憂鬱になっていきました😰😰😰😰😰
そこの職場までは電車で通っていたのですが、ある日の通勤電車での事です。
まあまあぎゅうぎゅう詰めの満員だったので、ドア付近のつり革を持って立っていて、ふと顔をあげると30センチも無いような超至近距離に満面の笑みのおっさんが居たーーーーー😱😱😱😱😱😱😱😱
まったく身動き取れない状況なので、次の駅までずーーーーーーーっと真ん前でニタニタしながら見つめられるという拷問を味わう事に😨😨😨😨😨
よりによって急行やったから、4駅分の約10分停らない😱😱😱😱😱
その間逃げるに逃げられないし、痴漢されてる訳でもないから何も言えないし……でも今思えば充分精神的苦痛味わってたから警察連れてっても良かったんかな?🙄👮🏻🚓🚨"
職場の最寄り駅に付いて、あまりの気持ち悪さに走って行ったら、おっさんも走って着いてくるし🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶
裏から入って、職場のチーフにあのおっさんが電車からずっと追いかけてくる😭😭😭😭😭😭😭て事の全てを話しても時すでに遅し😨😨😨
もう無理やわ、、、とチーフが指差した方を見るとおっさんが勝手にもういつもの席に座って待ってた🥶🥶🥶🥶🥶こんなんもうホラー映画やで🥶🥶🥶🥶🥶🥶
そして、オーダーもあの子が来るまで待ってると言って聞かない🥶🥶🥶🥶🥶🥶
そして、わたしがオーダーを取り、コーヒーを飲んでる間一生見つめられる日が毎日続き、何度か電車を合わせてきてはまた目の前でガン見されて……駅に着いたらおっさんと朝からマラソン大会🙃🙃🙃
何が悲しくておっさんとマラソン大会せなあかんねん🙃🙃🙃🙃🙃
もう出勤する事が苦痛以外の何物でもなくなった😨😨😨😨😨
そのうち家まで調べられそうでいつエスカレートするかもわからないし、あまりにキモすぎて耐えれなくなって辞めました🥶🥶🥶🥶🥶🥶
何も言わず見つめ続けられるくらいなら、まだ声掛けて来てくれる方がマシな気がする🥶🥶🥶🥶
ほんとに、めちゃくちゃマニアックなわたしの一体何がそんなにおっさんに刺さったのだろうか🥶🥶🥶🥶🥶
おっさん的には特にどうこうしたいわけではなく、ただ毎日見つめて居たかっただけなのかな?😱😱😱
おっさんがロリコンの変態だったと言うことは間違いないやろうな😂😂😂
当時のわたくし↑↑↑
赤い服着てるからわかりにくいけど、この時の髪は真っ赤でお尻くらいまでありました😳
もうこんなに伸ばすことは二度と無いやろうなぁ😂
ちょっと目立ちすぎたのだろうか😂😂😂😂😂
出所ホヤホヤのおっさん
前回のてりのおっさんに続きましては、1番強烈なおっさんの事を書きたいと思います。
今まで色んな所で働いて色んな人に出会って来たけれど、高校生の頃に出会ったこのおっさんが1番パンチ効いてたかもしれません😂😂😂
今から書く内容は全てノンフィクションです笑
ある日のモーニングが終わり慌ただしい時間が過ぎて、ランチが始まるまでのアイドルタイムの時の事。
厨房のチーフにコーヒーを頂いてゆっくりしつつ、ナプキンやシュガーなどの補充をしていたら、ドスンドスンドスンと大きく階段を踏みしめて登ってくる音が……(わたしが働いていたお店は1階がパン屋さんで、2階が喫茶室になっていました)
いらっしゃいませーと声をかけると、白髪混じりのオールバックに、ひどく色褪せた紺色の作務衣を着て、素足に下駄を履いて、文豪のような眼鏡をかけた体格の良いイカついおっさんが来た。
誰もお客さんが居ないのに、わざわざわたしが立っているレジのすぐ隣りの席に座ったので、ちょっと嫌やなぁと思いつつお冷を持って行く。
いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?
と尋ねると、ドスの効いた声で
「チョコレートパフェ」
とかわいいオーダーが来た。
何このおもてたんと違う感……😂😂😂
わたしが漫才師の“もも”だったら
「お前絶対焼肉弁当顔やろ?」
と、きっとそう言っているに違いない笑
厨房にオーダーを通して、作業の続きをしようと思ったらおっさんが
「ねぇちゃん!!」
とドスの効いた声で話し掛けてきた。
もう!いちいちビビるからやめて🥶🥶🥶
「はいっ」と、おっさんの方に行くと
「今何が流行ってんねや?」と……
いきなり言われてもすぐ答えられずにオドオドしていると、
「世の中の動きがわからんくてのう」
と言いつつ、おもむろに新聞を開いて読み出した。
すると突然
「メガネかけたキラキラ光る女知ってるか?」と聞いてきた😂
「いえ、わからないです😰😰😰」と言うと、
「結婚してくれってなぁああああああああ!!!!!!」と大声で叫び出した😨😨😨😨😨
えええええええええ!?!?!?!?😳😳😳😳😳とびっくりして何も言えずおっさんを見ていると
「その一言でわしの人生めちゃくちゃにされたんじゃあ!!!!!!!」とな😨😨😨😨😨
いやいやいやいや、いきなりそんな叫ばれても怖いって😰😰😰😰😰😰と戸惑っていると、17歳の小娘におっさんは自分の身の上話を語りだしました😂😂😂😂😂
どうやらおっさんには好きな女(彼女?)が居て、その女から結婚してくれと言われてたらしいのやけど、他所の男にその女を寝取られて一悶着あり、結果その男を殺してしまいずっと刑務所に入っていて、今日出所してきたばかりだそうで😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂
怖いわ!!!!!!😂😂😂😂😂😂😂
チョコパ食べながらポップに話すような事ちゃうわ!!!!!😂😂😂😂😂😂😂
とりあえず怖すぎたのではい、はい、へえ、そうですか、、、と何も言えずに聞くしかできなかったのやけど、厨房のチーフがスーっと裏に出てって1人にされた時は勘弁してー🥶🥶🥶となった😂😂😂
一通り話して、おっさんがまた
「ねえちゃん!!」と呼ぶので、チョコパも食べ終わったようやし、やっと帰ってくれるかな?と思いきや、またドスの効いた声で
「カレーライス🍛」
…………は?
この辺でやっと、鈍いわたしでも頭のおかしいおっさんなんやなと気付きはじめました😂😂😂😂😂
ほんまなんでメインがチョコパで、デザートにカレーやねん!!!!!て突っ込みつつ、いやでもおっさんはこう見えてスイーツ男子で、シャバの空気を吸って初めて口にするのは大好きなチョコレートパフェ🥺って決めてたんかもしれんよなぁ🤔などと考えつつ、カレーをお席に運びに行くと、刑務所での生活などを色々教えてくれました😂😂😂😂😂
おっさんずっと塀の中で退屈やったから、話し相手欲しかったんやろなぁなどと思いつつ、ずっと話を聞いていた。
イカついしちょっと頭おかしいし怖いけど、危害を加えてくるような感じでは無さそうなので、少し慣れて気を許しはじめた頃……おっさんが食べ終わりおあいそと言ってきた。
その頃にはもうだいぶ油断していた。
すると最後に
「メガネかけたキラキラ光る女が来よったらなぁ……トマトは赤いか聞いとけー!!!!」と捨て台詞を吐いて帰っていきました😂😂😂😂😂😂😂
はぁ??!!!??!!
もう意味わからん過ぎて何十年経っても未だに忘れられないんですけど😂😂😂😂😂😂😂
まだわたしはメガネかけたキラキラ光る女には会ってないので、いつか会ったら
「あ……あの、突然すみません、トマトは赤いですか?」とか聞かなあかんのかと思うと気が重いなぁ😂😂😂😂😂(せんでええ)
今思えばそのおっさんがほんまに刑務所出たばっかりなのかどうかはわからないし、言動のおかしさからしてポン中やったんかな?と思う😂😂😂😂😂
でも17歳のわたしにはそんな事微塵もわからないので、ただひたすらインパクトの強い出来事として何十年も忘れられない存在と残り続けるのでありました😂😂😂😂😂
まだまだ変なおじさんいっぱい居たので、また気が向いたら書きます🤣
トマトが赤いか気になるなんて、おっさんトマト農家やったんかな?😂😂😂😂😂
てりのおっさん
年末年始のお休みで今は地元に帰って来ているのですが、昨日は友達と会ってきました。
いつ会っても面白すぎて、楽しくてほんと大好きすぎる友達なんだなぁ☺️
そして、この友達と一緒に居る時の自分がいちばん好き😄✨
めっちゃ自然体で居れるし、自分の中のおもしろい部分を最大限発揮出来るというか、引き出してもらえて絶好調になれる気がして😁
たぶんおばあちゃんになってもくだらない事言ってずっと笑ってるんだろうなぁ🤣🤣🤣
こんなん買ってきてくれるん反則😂😂😂😂😂
そして、昨日会ってた場所が昔バイトしていた喫茶店がある商店街だったもんで、つい色々と思い出してしまいました。
もう25年以上も前の事なのに、未だに忘れられない濃いお客さんが沢山居たお店😂😂😂
せっかくなので、1人ずつ思い出して書いて見ようと思います。
まず1人目は「てりのおっさん」笑
なんでてりのおっさんなのかと言いますと、それは毎日ランチにてりやきステーキを食べに来るから笑
ステーキには、デミソースをかけたサーロインと、てりやきと2種類あったんやけど、おっさんはブレずに絶対毎日てりやきラブ。
1010円でコーヒーまで付いてるから、かなりお得やとは思う。
でも、毎日ランチにステーキてどうなん?😂😂😂
間違いなく狂ってるwww
いつもおっさんが来ると、ウェイトレスのわたしがオーダーを取ってくるよりも先に、厨房のおばちゃんが「てりワンでーす!」てオーダー通して肉焼き始めてるのが面白かった😂😂😂
でもある日、てりのおっさんがサーロインを頼んだ時があって、「おばちゃんあかんて!!てりのおっさんサーロイン言うてますよ!!!」て言うたら、(・д・)チッと舌打ちして、てりやきソースを絡めていた肉を水で洗ってた時は倒れるかと思った😂😂😂
今となっては笑えるけど、かなりギリギリですわなぁ😂😂😂
そこは喫茶店と言ってもステーキもあったし、オムライスや日替わり定食、焼肉弁当まであったので、お昼時は毎日混雑していました。
狭い店舗だったので、1人で来られたお客さんには相席をお願いする事もしばしば。
お昼時に来られるお客さんはほぼ毎日常連さんだったので、相席になる事をわかっている人が多く、唯一1人で座れる4番テーブルが空いてるとみんなそこに座りたがるので人気だったのですが、てりのおっさんもやっぱり4番テーブルが好きで、座りたがっていました。
4番テーブルの前には観葉植物を置いて居たので、おっさんがそこに座ると観葉植物越しにおっさんの剛毛な眉毛が動いて毛虫みたいに見えてわろてたなぁ😂😂😂
おっさんはいつも1冊の大学ノートを持って来ていて、注文をオーダーして出来上がるまでの間、そのノートを見ては1人で゙;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブホッと吹き出すくらい爆笑していて、腕組みして左上を見て必死に笑いを堪えたりしているから、そんなてりのおっさんの姿を見てはいつも笑いを堪えるのが必死でした😂😂😂
そんな爆笑するほどの事が書いてるやなんて、ノートの中身がめちゃくちゃ気になって仕方がなかったのやけど、席に行くと見られないようにササッと閉じられてしまうので、チラリとも見れる事がなく悔しかった笑
ちょっとフェイントかけて、時差でお待たせしましたー!て言ってみたりしてもおっさんの素早さに勝てることは無く、ますます気になるばかり🤨
てりやきに関しては絶対ブレないおっさんやったけど、コーヒーだけはその日の気分や天気でホットかアイスかランダムに変えておられました笑
おっさんのこだわりで、ホットやとフレッシュがいらなくて、アイスやとガムシロが要らないらしく、たまにその組み合わせを間違えて持っていく事があった時は、「君君!ノンフレッシュ!!☝️」と言われてちょっとウザかったなぁ笑
店が慌ただしくめちゃくちゃ忙しかったある日、わたしはてりのおっさんにホットコーヒーをこぼしてしまった事があったのですが、おっさんにめちゃくちゃぶっかけてしまったのにも関わらず、僕はいいから!と1ミリも怒ること無かったから今思えばめちゃくちゃ紳士な人だったのかもなぁ🥲
コーヒーを拭いてる時に、おっさんもさすがにそっちに気を取られて油断していたのか、大学ノートが開きっぱなしになって居て、その時初めて中身を見れたのやけど、筆記体で英語がびっしり書かれて居て、これを見て毎日爆笑していたやなんてますます意味が訳分からなすぎて不気味だったなぁ😳🥶😳🥶😳🥶
あれは何だったのだろう?
実は漫才師でネタ帳だったのか?
もしや、毎日ステーキ食べるくらいやから、実はアメリカ人だったのかな?
🤔謎は深まるばかり……
でも、今思えば当時毎日ランチに1000円出せるなんてきっとお金持ちだし、あっっついコーヒーをぶっかけられても動じない紳士な振る舞いを思い返すと、色んな意味でめちゃくちゃ凄い人だった事は間違いない🤣
当時の友達に、毎日ステーキ食べに来るおもろいおっさんが居ると話していると、めっちゃ気になる!と言ってお店に食べに来てくれた事があって、あえておっさんを広いテーブルに座らせてその友達とおっさんが向かいあわせの相席になるように座らせた時は、爆笑するおっさんを見て必死に笑いを堪える友達を見てもう笑いが止まらなくてあかんかったなぁ😂😂😂😂
今思い出してもわらける😂😂😂😂😂😂
ある日、バイトが終わって駅に向かいつつ商店街をウロウロしていると、てりのおっさんがバイクのヘルメットを被ってめっちゃ走ってるのを見かけたことがあって、おっさんがどんなバイクに乗ってるか気になってちょっと小走りで着いて行ったら、バイクのヘルメットを被ったまんま改札を通って電車に乗って行った時は、1人なのに笑いすぎて倒れるかと思いました😂😂😂😂😂
おっさんの正体は謎でわからないまま20何年も過ぎてしまったけれど、探偵ナイトスクープに出したら探してもらえたりするのだろうか?笑
そこまでして会いたい訳では無いから別にいいけど🤣(いいんかい)
今も元気に大好きなステーキ食べてはるといいなぁと思います🤣🤣🤣
はじめました
新しい1年、心機一転何かを始めたくてウズウズしています。
あれもやってみたい、これもやってみたい……と色々思うけどすぐには出来ない事ばかりなので、物は試しにとブログ開設してみました٩( ´ω` )و
飽きっぽくて何をやっても三日坊主で長続きしない上、普段はフルタイムで働いていて、保育園に通う子どもも居るのでこのブログもどこまで続くかわかりませんが、のんびりやって行けたらなぁと思っております。
どうぞよろしくお願いします(•ؔʶ̷ ˡ̲̮ ؔʶ̷)✧
写真は今日引いたお御籤です♡♡
幸先良いです•*¨*•.¸¸☆*・゚