dontyouwannabeeの日記

さちこあるあるあったら早く言って欲しい

2人組のおばあちゃん

随分と日が空いてしまいました💦

決して忘れて居た訳じゃ無いのですが😂

 

強烈なおっさんシリーズは出し切ってしまったので、今日はかわいい2人組のおばあちゃんの事を書きたいと思います。

 

このおばあちゃん達もしょっちゅう来てくれていた常連さんで、週の半分は来てくださって居たかな🤔

 

1人はシャキシャキして居て、よく喋る元気なおばあちゃんで、もう1人はそのおばあちゃんよりも一回りくらい上だったのかな?

綺麗に真っ白な白髪で、いつもニコニコしている、物静かな可愛らしい小柄なおばあちゃんだった。

 

いつも必ず2人一緒に来られていて、ひとつのモーニングセットを注文して、仲良く2人で分けて食べておられたなぁ。

f:id:dontyouwannabee:20220303021355j:image

写真はイメージです笑

 

おばあちゃん達のお気に入りは、ベーコンじゃなくて、いつも決まってハムエッグでした。

それを半分こして、トーストも1つずつ分け合って食べておられたなぁ☺️

 

決してケチってる訳じゃなくて、2人でひとつがちょうど良い量だったそうです☺️

 

いつも、元気な方のおばあちゃんがずっと喋っていて、もう1人のおばあちゃんはニコニコしながらうんうんと話を聞いていたっけ。

 

そこだけを聞くと元気なおばあちゃんがめんどくさい感じに聞こえてしまうけれど、元気なおばあちゃんはもう1人のおばあちゃんの体を気遣いエスコートしていたなぁ。

それが無理のある関係ではなく、とても自然体で、お互いに取って居心地の良い関係であるという事がよくわかった。

 

おばあちゃん達はわたしを孫のようにかわいがってくれて、いつもここでモーニングを食べるのが楽しみだと言ってくれていた。

 

そんな仲睦まじい姿が微笑ましくて、わたしもおばあちゃん達に会える事が楽しみでした☺️

 

常に一緒に来られるから、余程仲良しなんだろうなぁと思って居たら、どうやらお2人はご一緒にお住まいだった模様。

 

どういう経緯があって、友達同士のおばあちゃんが2人暮らしをしていたのかは分からないけど、今で言う阿佐ヶ谷姉妹みたいな感じだったのかな?

 

歳いってから気心知れた友達と一緒に暮らすと言うのも、それもまた楽しそうでいいなぁと、そのおばあちゃん達を見て思っていた。

 

前回書いたストーカーのおっさんの事もあって、ここのバイト先をもうすぐ辞めるんだという事をおばあちゃん達に話した時、おばあちゃんはめちゃくちゃ悲しんで、寂しくなるなぁと泣いていた🥲

 

ただのバイトやのに、まさかそんなにまで悲しんでくれる人が居るなんて、辞める事をやめようかなと一瞬思ったけど、それ以上にあのおっさんに毎日会うことはもう限界だと思った😖

 

そしていざバイトを辞めるとなった時、おばあちゃんは住所と電話番号を教えて欲しいと言ってくれたので連絡先を交換しました。

 

たまに連絡する程度で、次第にやり取りする事も少なくなって行ったけど、年賀状だけは毎年欠かさずやり取りをしていました。

 

毎年同じ渋いフォントの謹賀新年と、少しの新年の挨拶と、苗字が違う連名のおばあちゃんの名前が印刷された物に、干支だけは毎年変わって行ってたけど、おばあちゃんが一言書いてくれる文字の色は決まって青のインクのボールペンだった。

 

高校生だったわたしもやがて大人になり、一人暮らしをしたり、同棲をしたり、また実家に帰ったり…そしてまた引越したり、結婚したり……と何度も環境が変わって行ったけど、結婚してもおばあちゃんとの年賀状のやり取りはずっと続いていました。

 

おばあちゃん達の年賀状のスタイルは一貫してブレずに変わらなかったけれど、10年くらい経ったある年の年賀状に、『○○さんは昨年亡くなりました』とやっぱりブルーのインクのボールペンで書かれていて、差出人の名前が1人になっていた時は胸がキュッと痛かった。

 

おばあちゃん1人になってもまだ年賀状のやり取りは続いて居たけど、随分と筆圧が弱くなったなぁと、去年の年賀状とブルーのインクを見比べて思った事があった。

そしてその翌年は、遂におばあちゃんから年賀状が来なかった。

 

さすがに安否が気になったけれど、もう20年近く会ってないし、ほぼ年賀状のやり取りだけだったし、自分ももう京都に居なかったから簡単に会いに行けなかったのもあるけど、いざ訪れて現実を突き付けられたくなかったと言うのもあった。

 

もしかしたら、ただ引っ越しただけの可能性もあるかもしれないしな……と都合良く解釈して自分に言い聞かせていた。

 

それからまた1年経って、何事も無かったかのようにおばあちゃんに年賀状を送ってみた。

 

おばあちゃんからの年賀状は絶対元旦に届くから、ドキドキしながら元旦に届いた年賀状を見て行くと、最後の1枚になってもそこには無かった。

 

もしかしたら、忙しくて元旦に届くように出せなかったのかもしれないしなぁと、淡い期待をしていたら、数日経ったある日、自分がおばあちゃんに送った年賀状に、無情にも『あて所に尋ねあたりません』とハンコが押されて返ってきてしまった。

 

頭ではわかっていた事だったけど、心の何処かで、おばあちゃんがもうそこには居ないという事を認めたくなかったんやなぁ。

 

返ってきたその自分の年賀状を見て、もう認めざるを得ないんやなぁと、じわじわ理解して行った。

 

おばあちゃんに家族が居たのか、きょうだいが居たのか何も分からないけど、その人生を終える最後の日が、いつも明るかったおばあちゃんらしく、さみしくない物であるといいなぁと思った。

 

 

ずっとこのおばあちゃんとのやり取りがあったからか、わたしは年賀状を書くのが好きだ。

 

色々と便利な世の中になって、新年の挨拶もLINEで送る人も随分と増えたなぁと思う。

 

わたし個人的な事だけど、結婚したり、遠方に引っ越したりで、どんどん環境が変わって行って、かつて仲良くしていた友達とはうんと会える機会が減ってしまった。

 

元々そんなにマメな方では無いので、自分から連絡する事もあまり無いから、せめて年賀状くらいは元気にしているかな?とその人の顔を思い浮かべながら、宛名と一言だけは手書きで書くようにしています。

毎年やり取りしている友達の中に、小学校の時の友達や、中学校の時の友達も居るから、何十年も会っていないのにその人の字はずっと変わらなくて、文字は歳をとらないからなんだか不思議な感じがするなぁ。

 

わたしはずっと続けたいからと、自分は良かれと思ってやっていても、年末年始は皆忙しい時でもあるし、それが負担になる方もおられるだろうから、毎年送ってくれる人に限定して送るようにはなって行ったけど、無理のない範囲でこれからも続けて行けたらいいなぁと思っています。