さよならありがとう
20年生きてくれた老猫のチョビが27日の深夜1時過ぎに旅立ちました。
ツイートしようと思ったら気持ちが溢れて止まらなくて、わたしの鬼ツイートで埋めつくしてしまいそうやったので、気持ちを吐き出したくてメモに書いていたら、4つのスクショではおさまらなくなってきて、久しぶりにブログの存在を思い出したのでここに書くことにします。
前回書いたのは3月やなんて……三日坊主の悪い癖や🤦♀️
チョビはここ数ヶ月は寝てる事が多く、抱っこする事もすっかり無くなっていたなぁ。
ここ最近はトイレを粗相するようになっていた。
腎臓もだいぶ悪くなっていたから、ごはんを食べても吐いたり、水をがぶ飲みしては大量に吐きまくる事も多く、仕事から帰ったら部屋があちこち汚物まみれで、まるで地獄絵図だった。
ずっと掃除してばっかりで、痙攣の発作を起こす事も増え、日に日に弱っていく姿は見るに堪えなかった。
ボケていたのか真夜中に大声で鳴いたり、何度もごはんの催促をしてきたり。
その姿はまるで、飯はまだか〜?というボケ老人かのようで、最期の介護期はかわいいと思える事が減り、そんなふうに思ってしまう自分も嫌で正直しんどかった😖
疲れている時や、自分に余裕がない時や、急いでいる時なんかにトラップに気付かず、汚物を踏んでしまった時なんかは、つい心が悪くなりもう早く死んだらいいのになんて思ってしまう事もあった。(ほんまに反省)
そんな状況もあって、だんだんと構ってあげることも、気にかけてあげることも少なくなっていたように思う。
もう1匹飼っている新入り猫のチビはブクブク太っていて触り心地も良いし、甘え上手でよく膝の上に乗ってきていたから、いつの間にかチビばかり構うようになっていた。
弱っていく自分の事は気にもかけずに、新入りばかりかわいがる飼い主の姿をみてどんなに悲しかっただっただろうか。
そんな勝手な飼い主やのに、寝落ちしたりうたた寝していた時は、あんたそんなとこで寝てたら風邪ひくで?と言わんばかりに大きな声で鳴いてよく起こしに来てくれていたっけ。
なんて優しい子なんやろうか。
ずっとまっすぐに思い続けて見守ってくれて居たんやなぁて、なんでもっと大事にしてあげなかったのか、もっとしてあげられることもたくさんあったやろうに、、、本当に後悔しか出てこない。
亡くなる数日前まで食事は普通に食べていたし、正直そこまで寿命が迫っているとは気が付かなかった。
でも思い返してみれば、あちこちで粗相をするようになったのは死期が迫っているサインのひとつやったんやろなぁ。
頭のどこかで、もうそんなに長くは無いのかもなと思いつつも、どこかで認めたくない自分も居たのだと思う。
現実におこって、ようやく事の重大さに気付くなんてほんまに最低やなってそんな自分が嫌になった。
チョビとの出会いは、実家で飼っていたまだ避妊手術前の雌猫が外に脱走した時に子を身ごもり、生まれた子猫のうちの1匹でした。
5匹くらい居たけど、その中でもとても威勢よく飛び乗ってきた子が居たから、その子を連れて帰ることにした。
それがチョビだった。
最初はチョコっていう名前やったのに、いつのまにかチョビになっていたっけ。
ちょうどその時の私はバンドを辞めたばかりだった。
メンバーとはめちゃくちゃ仲悪くなって、大好きで始めたはずのバンド活動も苦痛でしかなくなり、ベースを持つと涙が出てくるような状況で、まっすぐに向き合えず追い詰められて辞めた。
その時付き合っていた人もろくなひとではなかったけど半同棲のような感じになっていて、でも自分は1人ぼっちなんだなぁと感じることも多く、当時の私は精神的にめちゃくちゃ不安定だったと思う。
実家を出た寂しさもあって、チョビを家族に迎え入れることにした。
そんな不安定でどん底に居た自分を救ってくれたのはチョビだったっけ。
わたしが23歳だった頃から44歳の今日に至るまでの20年半、失恋した時も失業した時も、バンドを辞めた時も、病気した時も、命の誕生も、命とのお別れも、引越しも……ずっと傍におってくれたんやなぁ。
心が苦しく平常で居られない時、ただそこに居てくれるだけでどんなに心強かったか。
今日私は大好きなバンド、SABOTENのライブを見に行っていた。
千葉県の郊外に住んで居るので、八王子まで片道3時間近くかかる小旅行だった。
明日も仕事やし、遠いしで、元々少し早く帰ろうとは思っていたけど、SABOTENのリハ中に旦那からチョビがもうやばいかもしれんと連絡が来て心がざわついた。
いらんことは考えんようにしようと思いつつも何度か不安がよぎり、油断すると泣いてしまいそうだった。
そんな時に、目を閉じてしか会えなくなる前に……と話してから歌われる「いつもの場所で」がリアルに刺さる。
ここで泣いてしまうとチョビが死ぬって認めてしまうみたいで嫌で、必死で耐えた。
まだチョビは死んだ訳じゃないし、目を閉じなくてもまだ会える!触れ合える!まだ間に合うはず!とグッとこらえた。
ラストはシナリオ
「思い出にはまだ出来ない
泣き顔じゃ終われない
冷めた夜の歌は消えた
僕は星になる」
という歌詞に涙腺緩みそうになったけど、ここでも今じゃないとグッとこらえた。
そういえば、かつて大好きだったピンクリボン軍というバンドが解散を発表した直後のライブが、八王子マッチボックスであったのやけど、ピンクリボン軍とSABOTENと花団という3マンで、その時シナリオを聞いてボロ泣きしたなぁという事を思い出した。
時を経てまた同じ場所で同じ曲を聞けているやなんて、なんという偶然なんやろうか。
その昔、うちの父親がうつ病になり引きこもっていた時、家族が崩壊して、誰にも相談出来ずいのちの電話に電話するくらい追い詰められていた事があったのやけど、一緒に住んでいるのに手紙でしかやりとりの出来ない父親に、シナリオの歌詞を書いて渡した事があったなぁとふと思い出した。
そんなまあまあヘヴィーな出来事があった時も、チョビはずっと傍に居てくれてたんやなぁ。
そういや、先日SABOTENのワンマンライブの会場で行われていたゲームコーナーで当てた景品の中で、わたしが手にしたのもキヨシさん直筆のシナリオの歌詞カードだったなぁ。
この曲は何かとお守りになってくれているから、手に入れる事が出来て良かった。
帰りに年内最後やのでメンバー皆さんに挨拶。
下手にキヨシさんとお話しすると泣いてしまいそうで、何も言えなかった。
友達が一緒にいてくれて良かった。
大好きなななぞうさん(STUNNERというバンドの♀サポートギター)にも会いたかったなぁ、差し入れ持ってきてたしちょっと探してみようかなと思っていたら、たまたま出てきはって会えて嬉しかったなぁ。
嬉しくて駆け寄ったらハグしてくれてラブい🥹
ななぞうさんの明るさと優しさに救われました🥲
そんなこんなで話は大いに逸れましたが、、、
早く帰ってこいと言われても、乗り継ぎもあるから急いでもどうしようも出来ないもどかしさがつらかった。
さっきまでずっと我慢していたからか、1人になると急に涙が溢れて止まらなくなって、鼻水も溢れてくるし一生懸命違う事を考えようとしても笑えなかった。
ただでさえ遠い距離が一段と遠く感じたなぁ。
家に着くとチョビはフローリングに力なく横たわっていた。
ほんまに今にも息絶えそうやったらしいんやけど、最後の力を振り絞り私を待っていてくれたようだった。
チョビ!!!!って呼ぶとニャーって何度も鳴いた。
抱き上げて、今までのありがとうという気持ちとごめんなさいという気持ちをたくさんたくさん伝えた。
きっと、チョビはまたわたしにこうやってだっこしてもらえるのを本当に待って居たんやと思う。
久しぶりにチョコ!って呼ぶと耳がピクっとなった。
お前の名前はほんまはチョコやったね。
もう瞬きもしなくなって、瞳孔が開いたまんまゆっくりと深呼吸するだけのチョビを抱きしめながら2人だけの時間を2時間近く過ごした。
腕の中で命の火が消えていくのを待っているだけの時間は本当に心がえぐられた。
あろう事かこんな時に、泣きすぎて疲れたのか抱っこしたままちょっと寝てしまっていた。
はっ!!と起きたらチョビはまだ息をしていて、あんたそんな所で寝てたら風邪ひくで?と言わんばかりに見つめているかのようにみえた。
それから数分後、閉じていた口が開きはじめ、声も出せないのに鳴こうとして、いつ亡くなったのかわからないくらい本当に静かに命の火が消え、お空に旅立っていきました。
何の偶然か、6年前に亡くなった猫のぶにゃおさん(とこ)が亡くなったのも深夜1時をまわった頃やったなぁ。
ずっと見守っていたけど、疲れて一瞬うたた寝してしまい、起きたら程なくして息を引き取るというパターンまで同じ、、、
チョビは、最期は私に抱っこしていて欲しかったんやろなぁて痛いほど伝わって苦しかった。
最期だけじゃなくて、ほんとは元気な時も弱っていっても何度も抱っこしてほしかったよな。
気付いてあげられなくてほんまにごめんな。
ほんまはずっとこうしたかったんやで?と言う長く空いた隙間を埋め合わせるかのように、最期の時間を2人だけで静かに過ごせて本当に良かった。
もしチョビが私を待たずに旅立っていたら、お前なんかもうええわと言われているようで、一生悔やんでも悔やみきれなかったと思う。
大きな愛と優しさに包まれていたのはずっと私の方やったんやな。
チョビ、いや、チョコ、出会ってくれて、こんな私とずっと一緒に居てくれてありがとう。立派な飼い主じゃなくてごめんなさい。
もっと優しくてお金持ちの飼い主に飼われていたら、もっと幸せに暮らせていたかもしれないね。
言葉が話せないからこそ、もっと色々察してあげるべきでした。ほんまにごめんなさい。
でも、今更嘘みたいに聞こえるかもしれへんけどほんまにずっと大好きやったで。
またいつか私がそっちに行った時は迎えにきてね。
しばらくは寂しいから、きっとまた無駄に夜更かししてはうたた寝してしまうと思うから、夢の中でもいいからたまには起こしに来てな。
これまた何の偶然か、今日12月27日は私の祖母の命日で、明日は、先日亡くなられた旦那のおじいさんの葬儀がある。
命は有限であるということ、生きているうちに出来ること、してあげられることをたくさん考えさせられました。
伝えたい事は生きている時に言葉でちゃんと伝えたいと、心からそう思います。
そして、まだ健在で居てくれている両親を思い出した。
離れて暮らしているから、余計にあと何回会えるのかな?と考えると切なくなりました。
めちゃくちゃ長くなりましたが、ここまで読んでくださった方がおられましたら、お付き合いありがとうございます。
これを読んでいるあなた様も後悔の無いよう、
大切な人をめいっぱい大切になさってくださいね。